人生を味わうブログ〜仕事と家族とお金から自分の人生を考える〜

誰もが「自分の人生を生きたい」と思っているにも関わらず、「自分の人生を生きている」と実感できる人はそれほど多くないのではないでしょうか。「自分の事は自分ではよくわからない」とは言いますが、日々の生活の中で向き合っている仕事、家庭、お金などの現実から、「自分はどういう人生を生きたいのか」を考えていきます。

働き方改革

ネットを見ていると、働き方改革の記事が多いですね。

この働き方改革は、政府目線として、少子高齢化社会の中で、どうやって労働力を確保するか、的なことが言われていますが、はっきりいって、一人ひとりの働き手の日々の生活において「労働力の確保」を意識することはありません。

もちろん、とある休日に、行楽地へ出掛けると家族連れよりも年齢を重ねた方のグループが多かったり、自分の職場において若手が圧倒的に少なかったり、など、意識することもあるでしょうが、毎日、起きて、仕事へ行って、帰ってきて、寝て、その中で家族に関わって、という閉鎖的な生活環境の中では、少子高齢化を意識する機会はほとんどないのではないでしょうか。

そして、会社目線としての働き方改革は、会社としてどういった制度設計をするか、つまり最大公約数としてどうするか、といった視点になりますが、これが社員一人ひとりのニーズに合っているかというと、そんなこともないわけです。

決して、政府目線、会社目線の働き方改革に意味がないと言っているわけではないのですが、例えば、その成果を測定するときには、社員の主観(満足度)も大切なのではないでしょうか。

そして、この満足度、というのも、結局は総体的なものなので「働き方改革」単体で変化するものではなく、自分が役に立っているかだったり、職場内の人間関係だったり、給与だったり、つまり、この会社で働くってどういうこと、といったことが問われているのかと思います。

制度を活用するのは社員一人ひとりですから、そういったイメージ抜きで、制度設計を進めても、「働き方改革やってます!」というアピールだけで形骸化してしまい、作った制度を無理矢理使わされることでモチベーションの低下しなければいいなあ、と思う毎日です。

気持ちのコントロール

私は専門家として働いていますが、契約先が本当に専門家の意見を尊重しているかというと、そうでもないことも多いです。

つまり、法律で定められているから、など、専門家と契約している体裁を大切にしているだけで、本当は意見(特に、耳障りのよくない意見)を聴きたいとは思っていないかもしれません。

私は比較的、人がどう思っているかを察することが得意、というか、それが仕事の一部でもあるので、相手がこちらをどう見ているかがわかってしまうことがあります。

それは、相手の言い方だったり、微妙な仕草だったり、多層的な人間関係の中でのやりとりであったり、はたまた自分の意見がどう扱われるかであったり、そう感じる場面は様々ですが、どこかで答え合わせをする機会があると、結構、予想が的中します。

そういう時には、怒り、不安、悲しみなど様々な感情が生まれてきて、余計なことを考えてしまって、自分本来のパフォーマンスが発揮できないだけでなく、考える必要のない時間にも、むしろ、考える必要のない時間にこそ、その場面とそれに伴う感情が頭の中で繰り返されてしまいます。

そういうときにどうするか、は個人で様々ですが、私は二つの方法をとっています。

一つは、家族の写真や動画を見ること。

写真や動画は基本的には「過去」の記録ですが、過去を懐かしむのではなく、気持ちの対象を自分の大切なものに切り替えると、案外、悩んでいたことがバカバカしい、となったりします。

もう一つは、景色、特に、車や人の流れが見える景色を遠目に見ることです。

そういった景色を見ていると、「ああ、自分が怒っていようが、悲しんでいようが、時間は淡々と流れていくんだな」と、気持ちが切り替わったりします。

誰でも同じ効果があるかはわかりませんが、危害があったらぜひ試してみて下さい。

フリーな一日だって、とても忙しい

幸いなことに、仕事(出勤)の予定が入っていない日があります。

その日が訪れる前には、あれもしたい、これもしたい、と考えるのですが、結果的にできることはあまりなかったりします。

当然ながら,子供達にはいつもの生活があって、食事などの身の回りのことはしなくてはいけませんし、自宅にいれば、「○○してくれる?」と、家族からの期待も大きくなったりするわけです。
(子供達は、その日の服装で私が仕事がある日かわかる様子)

その中でも、そういった日にしかできない小さな事をやるだけで結構幸せだったりします。

外食は時間もかかるし、新規開拓は期待とのギャップが大きかったりもするので、散歩がてら美味しいサンドイッチを買ってきて、コーヒーを淹れながらベランダでランチなんかすると、もう最高です。

我が家は人や車の流れが見えるシチュエーションにあるので、そういった何も変わらない日常の中で、非日常を感じるのもいいのかもしれませんね。

話はそれましたが、ゆっくりとした時間が流れるランチタイムがありつつも、午後からは子供の送迎や食事の準備など、バタバタして過ごして、あっという間に寝る時間です。

フリーな一日だって、とても忙しいわけですが、その中でどうやって幸せを感じるか、いくらでも工夫できそうですね。

自分を偽らない

私は専門職として働いているので、意見を求められることが多いのですが、当然ながらわからないこともあります。

その時にどう振る舞うかが、相手との信頼関係の構築や自身の成長と関係しているのではないでしょうか。

例えば、何か意見を求められた際に、専門職として「わからない」とは言いづらいので、話をすり替えたり、確信がないのに断言してしまったり、なんとかその場を取り繕ってしまうことがあります。

たいていの場合、それでなんとかなっているのですが、心の中では「ちゃんと応えられなかった」と悔いが残るんですよね。

なので、私はわからないことがあった際や答えに迷う際には、ごまかさずに、これまでの経験や、そこからどう考えるのかを自分自身に聞いてみます。
私は、自分が経験したことは信じていますし、そこからわき出てくるものに任せるしかない、ということかもしれません。

また、これまで人並みには経験を積んできたと考えているので、それでもわからないことはとてもレベルが高い内容なのでしょうし、いま向かい合っていることに、これまでの経験や知識が当てはまらないことも多々あるわけです。

なので「自分が間違っているかもしれない」と思っておくことは、大切ですよね。

これは決して「自信がない」といったスタンスではなく、自分を修正する余地を残したり、相手にも話してもらうチャンスを与えたり、といった意味合いもあります。

この自分自身に聞いてみる、というのは「リフレクション」と言われていますが、必要なときにリフレクションができる、というのも難しいんですよね。

株式からの配当金

不労所得に対する感覚は人それぞれですが、不労所得があるに越したことはないでしょう。

不労所得の代表的な者として株式からの配当金があります。

株式を保有している企業からの株主総会の資料や、証券会社のウェブサイトを見ると、例えば取締役がどれくらい自社の株を持っているかがわかりますが、そこから配当金を計算すると「仕事する必要あるのかな」と思ってしまうくらい、配当収入(しかも税率は20%)があったりします。

私自身も現時点で年間の配当収入が100万程度ありますが、基本的には再投資に回しているため、配当収入があって助かるな、といった実感はありません。

これがどれくらになったら、加速的に資産が増えていくのかはわかりませんが、株式投資を始めて10年程度でこのレベルですから、60歳を迎える頃になっても、劇的に増えることはなさそうです。

それでも、連続増配株や生活必需品ETFなどを中心に投資をしているため、おそらく配当収入が大きく減ることもないと考えています。

仕事はそれなりに続けたいな、とは考えていますので、配当収入だけで生活することはなさそうではありますが、目安としては年間300万円(税引き後240万円、米国株式だと、米国での源泉徴収もあるのでもう少し目減りしますが、月20万程度)くらいあると、気分よく暮らせるかな、と漠然と考えています。

 

子供達の日常からの気づき

親として子供と関わっているつもりでも、実際に目にしている側面はごく一部かもしれませんよね。

私も親として子供と関わる時間をなるべく持とうとしているのですが、やはり全ての面は見れません。

また、子供の全ての面を見ることが、必ずしも「いいこと」だとは考えていないですし、子供と自分は別人格なので、全てを見ていたとしても、全てを知ることはできません。

ただ、自分が知らない子供の一面を見ることで、ハッとさせられることもあります。

例えば、日中、自宅にいると、子供が学校から帰ってきたときの姿を見られることがありますが、「ただいまー!」元気よく帰ってきた際の、とてもすっきりした純朴な表情を見ると、こちらも心が洗われるようですし、ちょっと浮かない表情をしているのを見ると、親の知らない世界で苦悩しているんだな、とちょっと胸が苦しくなったりします。

こういった機会だけではないと思うのですが、普段、見ている子供達の側面が全てではないんだ、という当たり前のことに気づくことは、日常の他の場面でもとても役に立つのではないでしょうか。

パートナーに対してもそうですし、仕事で関わっている上司、部下に対してもそうかもしれません。

先入観で「いつもこうだよね!」とイライラしてしまうことで、自分の態度も頑なになってしまいがちですが、「本当は違うのかも」と思えるだけで、自分の態度も柔らかくなりますし、感じるストレスが軽減されたりしないでしょうか。

何事に対しても、「全てを知ることは難しく、色々な側面がある」と考えておくことが重要です。

朝の習慣

皆さんは朝の習慣はお持ちでしょうか。

私はここ数年、起床時間は5時と決まっていて、目覚ましをかけなくても、前の晩に夜更かししても、5時にセットした目覚ましが鳴る直前に自然と起きることが多いです。
(それはそれで、睡眠の質はどうなんだ、といった気もするのですが)

その後、歯磨きをして、お湯を沸かしてコーヒーを入れて、10分程度の筋トレをして、瞑想をして、朝食を作って家族が起きてくるのを待ちます。

この間、大体1時間くらいなのですが、静かな時間に、自分の中で優先順位が高いことに取り組んでいること自体にとてもいい気分になれます。

時には、パソコンや携帯を触ってしまって、「それ、今じゃなくてもできるよね」といったようなことに時間を費やしてしまうこともありますが、そういった時は、ちょっとがっかりな朝になってしまいます。

その後は、家族が起きてきたら「おはよう!」の挨拶をして、それぞれの着替えを手伝ったり、今日の予定について話したり、みんなで朝食を食べたり、家を出るときにお互いに笑顔で元気に「いってきます!」「いってらっしゃい!」となると、とても充実感がありますね。

いつもいつもそうはいかないのですが、決まったらルーティンを持った朝の時間の過ごし方、とても気に入っています。