他人ではなく自分の期待に応えているかどうか
幸いなことに、仕事について色々と声をかけて頂くことがあります。
私の専門領域について理解した上で「私に力を貸して欲しい」とか「ぜひ関わって欲しい」という声かけもあるのですが「自分のいいように使いたい」とか「私のために関わって欲しい」という利己の部分が見えてしまうこともあります。
その「利己」を否定するわけではありませんが、引き受けるか考えるときに、その人との普段の関係性に影響を受ける、もしくは、引き受けるかどうかがその人との関係性に影響する、ということが判断を迷わせますよね。
また、あまり気が進まない仕事であっても「人が自分に期待していること」に応えてあげたい、とか、応えなくてはいけない、といった意識があるかもしれません。
そういうときには、自身の判断が「自分の期待に応えたものか」ということを意識するようにしています。
もちろん、自分に対する期待の中に「誰かの期待に応えている自分」という自己像があるかもしれませんし、人の期待に応えることで信頼関係が構築できますので、人の期待は無視しろ、ということではありません。
ただ「自分は自分の期待に応えるために生きている」を意識すると、判断を誰かの期待に委ねない、つまり「自分がどうするかは自分で決める」ことができますし、「期待に応えたのに裏切られた」という状況になっても、「せっかく期待に応えてあげたのに」という後ろ向きな気持ちなることなく、「自分で決めたことだから」と捉えることができれば、精神的なダメージも軽減されますし、次はどうするかという建設的な思考ができます。
仕事に対して完全に目的、意識が一致することはありませんが、いかにして自分を守っていくか、ということは、一つの重要な要素ですよね。