人生を味わうブログ〜仕事と家族とお金から自分の人生を考える〜

誰もが「自分の人生を生きたい」と思っているにも関わらず、「自分の人生を生きている」と実感できる人はそれほど多くないのではないでしょうか。「自分の事は自分ではよくわからない」とは言いますが、日々の生活の中で向き合っている仕事、家庭、お金などの現実から、「自分はどういう人生を生きたいのか」を考えていきます。

時間の使い方に対する意識

以前は、主たる勤務先があり、日中の多くの時間を職場で過ごしていました。

私の仕事は、常に予定が詰まっているわけではないので、例えば資料を作成したり、専門書を読んだりする時間が確保できたこともあるのですが、あまり「この資料にどれくらいの時間をかけるのか」「それによってどれくらいの費用効果があるのか」について真剣に考えたことはなかったような気がします。

漫然と「こういった資料があったらいいかも」といった気持ちで作業にとりかかると、考えていたような資料の完成に至らず、時間を無駄にしてしまうこともあります。

しかし、その資料が完成するかどうか、どれくらいの時間を費やしたか、資料の質はどうか、といったことは「お金」、つまり給与には影響しません。

とにかく、決められた時間に拘束されていることに対して「お金」が支払われるわけで、ともすると、その時間をやり過ごすために、自ら仕事を作り出しているともいえるわけです。

さて、現在はというと、非常勤先を訪問した際には、基本的には案件が詰まっていますので、そこで資料作成などの時間を確保することはできません。

なので、日中、夜間の空いている時間などで資料を作成したり、専門書を読んだりするのですが「これによって何が得られるか」を強く意識するようになりました。

全ては生み出される「お金」で換算されるわけではなく、そこから得られる知識や人間関係もありますが、いずれにせよ、時間の使い方に対する意識が高まったことは間違いありません。

とはいっても、全ての時間について費用対効果費を考えていると詰まらない人間になってしまいそうなので、そのあたりのバランス感覚が難しいところですね。

時間の使い方

時間の使い方での幸せについてです。

例えば、今はGW期間ですが、主たる勤務先があったときには「今日で連休も終わりかあ」といった気持ちがありましたが、いまではそういった気持ちにはなりません。

なぜなら、連休が終わっても基本的には仕事に戻る、といった気持ちにはないからです。

もちろん、非常勤先の仕事はあるのですが、ちゃんと私の役割が明確になっており、自分の能力を適切に活用してもらっている、貢献できている、と感じることができるために、いわゆる時間的に○○だけ拘束しますから、それに対して給与を払います、という「お仕事」ではないからです。

これは、単純に「それは私の役割ではない」「やりたくない」ということで仕事を選んでいるわけではなく「私が力になれることだ」といった社会貢献的な意味合いや、「対価を考えてやっておこう」という打算的なことも含まれています。

また、私は「食」にこだわりがあり「おいしい」と思える食事やおやつに幸せを感じます。

お気に入りのお店もいくつかありますが、仕事をしていると、どうしても「次はいついけるかな」と思っているうちに、数ヶ月が過ぎてしまうというのも珍しくありません。

それが、今の時間の使い方をしていると「行きたい」「食べたい」と感じたときに、比較的速やかに実現できます。

人生は短いですし、お店だっていつクローズするか、味が変わってしまうか、お気に入りがなくなってしまうかわかりません。

こういった時間の使い方は、どこかで触れたいと思っている「今、ここ」に意識を向けるマインドフルネス(この考え方には問題もあるのですが)にも繋がっています。

私の近況

前回は「はじめまして」的なことを書きました。

このブログで何か計画的に書いていくことが決まっているわけではないですが、とりあえず私自身の近況的なことを書いておきます。

家族については、妻一人(当たり前か)と子供が3人いますが、一番上が小学生になったばかり、真ん中が幼稚園、末っ子が未就園児で、それぞれ手がかかり状況で、時間はいくらあっても足りないと感じています。

仕事については、最近までは常勤(期限付き)での仕事を持っていたのですが、仕事の内容的にも、自分の生き方としても、このまま仕事を続けていてよいのか、迷いがあったため、結果的に契約を延長せずに今は主たる勤務先がない状況です。

しばらく時間がたって「どこか勤務先を探さなきゃ!」という気持ちになるのか、自分自身を観察していましたが、今のところそういった気持ちにはなっていません。

理由として、幸いにもいくつか非常勤先があるため、日々、生活ができているため、経済的に仕事をしないと、といった状況にならないこともありますが、今の時間の使い方がとても幸せだ、と実感する部分があるからだと考えています。

その当たりについてはまた次回。

 

ほどよい幸せが続くために

こんにちは、関東近郊に住む40代のつくパパです。

私はこれまでブログをやってみたことがありますが、続いたことがありません。
今回も「続くのかなあ」と思いつつ、始めて見ました。

というのも、これまでは一つの仕事に専念していた時期が長く、情報管理上、仕事のことを話題にしにくかったり、子供達も小さかったりで、あまり話題にできるような「気づき」や「関わり」がなかったりしたことがありました。

ところが、最近になって仕事上の変化もあって「自分が何をどこまでやるか」を自分で決める事が多くなり、そうすると「自分は何をしたいのか」「自分は何が得意なのか」を深く考える必要に迫られるようになりました。

また、子供達も成長するに従って、単純に「親(私は父親)と子」という縦の関係ではなく、より一人の人間として接することが重要だと感じる瞬間が増えてきました。

加えて、家族の時間を重要視すると、今度は「お金」 についてどういったスタンスを取るかも避けては通れない課題です。

私のスタンスは、タイトルにもあるように「ほどよい幸せ」を味わうことですが、そのためにも上記にあげたことのバランス、という、それぞれの要素に対するスタンスはとても大切だと感じています。

また、正解は一つではないので、試行錯誤しながらの過程を残しておくことは自分にとっても、このブログを読む人にとっても役に立つのではないかと考えています。

いつまで続くかはわかりませんが、以前は「仕事」にとってメリットがあるか、ないか、という視点でブログを見ていましたが、今回は「自分の人生の質を高める」という視点なので、少し期待しています。