人生を味わうブログ〜仕事と家族とお金から自分の人生を考える〜

誰もが「自分の人生を生きたい」と思っているにも関わらず、「自分の人生を生きている」と実感できる人はそれほど多くないのではないでしょうか。「自分の事は自分ではよくわからない」とは言いますが、日々の生活の中で向き合っている仕事、家庭、お金などの現実から、「自分はどういう人生を生きたいのか」を考えていきます。

私の投資スタイル

お金の話もしておきます。

「お金の話」といっても色々な切り口がありますが、投資についてです。

私はお金は多い方が選択肢がたくさんある、と考えているので、お金については敏感、というか色々と考えてしまう方です。

また、資産形成についてはしっかり考えておくことで、自分がどれくらい働けばいいのか、つまり、人生において何にどれくらい時間を費やすことができるか、という正解のない問いにも、取り得る選択肢が増えます。

資産形成にもたくさんの方法がありますが、現在、主たる方法として採用しているのは米国株投資です。

ここに至るまでには、日本株、FXなどで失敗し、退屈なインデックス投資(現在も継続中)を経て、米国株の個別投資に、といった感じです。

米国個別株投資、というとリスクが高そうですが、私が投資しているのは一般に大型、ディフェンシブ、連続増配がキーワードで、現時点では配当再投資による資産形成を、これから10〜20年後には配当を生活費に、といったことを考えての選択肢です。

自分の心の声に耳を傾けると、米国株へのインデックス投資が手間もかからず、リターンもしっかり得られる投資なのですが、「面白さ」も踏まえてここ数年はこのスタイルに落ち着きました。

が、そのうち変わるかもしれませんね。

このブログでも、何らかの形で米国株投資については触れていこうと考えています。

主たる勤務先がないことでの焦り

タイトルを見ると、主たる勤務先がないことに焦っているような印象を受けますが、実際には焦りは感じていません。

焦りがあるとすると、仕事の感覚が鈍ること、お金のこと、世間体などがあったりしますが、今のところどれも自分の心の中にはありません。

仕事の感覚が鈍る、ということについては、いくつか非常勤先があり、幸いにも充実した時間が過ごせているため、今できることができなくなってしまう、という心配はありません。

今は生活のペースができていないので充分な時間がとれていないのですが、これまでそのままにしておいた「これってどうなんだろう」という知的好奇心も、少しずつ掘り下げていきたいですし、これまでは何となくやっていたことも、今一度、「どうして」という理由について振り返る時間を確保していけるといいのかな、と漠然と考えています。

また、これまで仕事に振り分けていた時間を家族のために使っていることで、親としての成長が人間としての成長に繋がることも実感しています。

例えば、以前は時間的にも心にも余裕がなかったので、子供に対して先回りして上手くいくように行動してしまうことが多かったのですが、最低限の安全には気をつけながら「○○すると、○○とか、○○とか、大丈夫かな」と、可能性を伝えて見守ることを心がけています。

また、失敗したとしても、叱りつけたり、「ほら!言ったでしょ!」と感情的にならずに、「大丈夫?」と声をかけながら、笑い飛ばしていると、子供も自分の事として考えるようで、「○○すればよかったかな」とか笑いながら話してくれます。

単純に親から子への「押しつけ」で教えるのではなく、子供を一人の人間として接することで、友人との付き合いや、仕事においても人との関わりについて学べているのではないでしょうか。

今の時間の使い方をどう捉えるかで、仕事がないことに対して焦るのではなく、今の時間を最大限、人間としての成長につなげていければと思うこの頃です。

他人ではなく自分の期待に応えているかどうか

幸いなことに、仕事について色々と声をかけて頂くことがあります。

私の専門領域について理解した上で「私に力を貸して欲しい」とか「ぜひ関わって欲しい」という声かけもあるのですが「自分のいいように使いたい」とか「私のために関わって欲しい」という利己の部分が見えてしまうこともあります。

その「利己」を否定するわけではありませんが、引き受けるか考えるときに、その人との普段の関係性に影響を受ける、もしくは、引き受けるかどうかがその人との関係性に影響する、ということが判断を迷わせますよね。

また、あまり気が進まない仕事であっても「人が自分に期待していること」に応えてあげたい、とか、応えなくてはいけない、といった意識があるかもしれません。

そういうときには、自身の判断が「自分の期待に応えたものか」ということを意識するようにしています。

もちろん、自分に対する期待の中に「誰かの期待に応えている自分」という自己像があるかもしれませんし、人の期待に応えることで信頼関係が構築できますので、人の期待は無視しろ、ということではありません。

ただ「自分は自分の期待に応えるために生きている」を意識すると、判断を誰かの期待に委ねない、つまり「自分がどうするかは自分で決める」ことができますし、「期待に応えたのに裏切られた」という状況になっても、「せっかく期待に応えてあげたのに」という後ろ向きな気持ちなることなく、「自分で決めたことだから」と捉えることができれば、精神的なダメージも軽減されますし、次はどうするかという建設的な思考ができます。

仕事に対して完全に目的、意識が一致することはありませんが、いかにして自分を守っていくか、ということは、一つの重要な要素ですよね。

 

時間の使い方に対する意識

以前は、主たる勤務先があり、日中の多くの時間を職場で過ごしていました。

私の仕事は、常に予定が詰まっているわけではないので、例えば資料を作成したり、専門書を読んだりする時間が確保できたこともあるのですが、あまり「この資料にどれくらいの時間をかけるのか」「それによってどれくらいの費用効果があるのか」について真剣に考えたことはなかったような気がします。

漫然と「こういった資料があったらいいかも」といった気持ちで作業にとりかかると、考えていたような資料の完成に至らず、時間を無駄にしてしまうこともあります。

しかし、その資料が完成するかどうか、どれくらいの時間を費やしたか、資料の質はどうか、といったことは「お金」、つまり給与には影響しません。

とにかく、決められた時間に拘束されていることに対して「お金」が支払われるわけで、ともすると、その時間をやり過ごすために、自ら仕事を作り出しているともいえるわけです。

さて、現在はというと、非常勤先を訪問した際には、基本的には案件が詰まっていますので、そこで資料作成などの時間を確保することはできません。

なので、日中、夜間の空いている時間などで資料を作成したり、専門書を読んだりするのですが「これによって何が得られるか」を強く意識するようになりました。

全ては生み出される「お金」で換算されるわけではなく、そこから得られる知識や人間関係もありますが、いずれにせよ、時間の使い方に対する意識が高まったことは間違いありません。

とはいっても、全ての時間について費用対効果費を考えていると詰まらない人間になってしまいそうなので、そのあたりのバランス感覚が難しいところですね。

時間の使い方

時間の使い方での幸せについてです。

例えば、今はGW期間ですが、主たる勤務先があったときには「今日で連休も終わりかあ」といった気持ちがありましたが、いまではそういった気持ちにはなりません。

なぜなら、連休が終わっても基本的には仕事に戻る、といった気持ちにはないからです。

もちろん、非常勤先の仕事はあるのですが、ちゃんと私の役割が明確になっており、自分の能力を適切に活用してもらっている、貢献できている、と感じることができるために、いわゆる時間的に○○だけ拘束しますから、それに対して給与を払います、という「お仕事」ではないからです。

これは、単純に「それは私の役割ではない」「やりたくない」ということで仕事を選んでいるわけではなく「私が力になれることだ」といった社会貢献的な意味合いや、「対価を考えてやっておこう」という打算的なことも含まれています。

また、私は「食」にこだわりがあり「おいしい」と思える食事やおやつに幸せを感じます。

お気に入りのお店もいくつかありますが、仕事をしていると、どうしても「次はいついけるかな」と思っているうちに、数ヶ月が過ぎてしまうというのも珍しくありません。

それが、今の時間の使い方をしていると「行きたい」「食べたい」と感じたときに、比較的速やかに実現できます。

人生は短いですし、お店だっていつクローズするか、味が変わってしまうか、お気に入りがなくなってしまうかわかりません。

こういった時間の使い方は、どこかで触れたいと思っている「今、ここ」に意識を向けるマインドフルネス(この考え方には問題もあるのですが)にも繋がっています。

私の近況

前回は「はじめまして」的なことを書きました。

このブログで何か計画的に書いていくことが決まっているわけではないですが、とりあえず私自身の近況的なことを書いておきます。

家族については、妻一人(当たり前か)と子供が3人いますが、一番上が小学生になったばかり、真ん中が幼稚園、末っ子が未就園児で、それぞれ手がかかり状況で、時間はいくらあっても足りないと感じています。

仕事については、最近までは常勤(期限付き)での仕事を持っていたのですが、仕事の内容的にも、自分の生き方としても、このまま仕事を続けていてよいのか、迷いがあったため、結果的に契約を延長せずに今は主たる勤務先がない状況です。

しばらく時間がたって「どこか勤務先を探さなきゃ!」という気持ちになるのか、自分自身を観察していましたが、今のところそういった気持ちにはなっていません。

理由として、幸いにもいくつか非常勤先があるため、日々、生活ができているため、経済的に仕事をしないと、といった状況にならないこともありますが、今の時間の使い方がとても幸せだ、と実感する部分があるからだと考えています。

その当たりについてはまた次回。

 

ほどよい幸せが続くために

こんにちは、関東近郊に住む40代のつくパパです。

私はこれまでブログをやってみたことがありますが、続いたことがありません。
今回も「続くのかなあ」と思いつつ、始めて見ました。

というのも、これまでは一つの仕事に専念していた時期が長く、情報管理上、仕事のことを話題にしにくかったり、子供達も小さかったりで、あまり話題にできるような「気づき」や「関わり」がなかったりしたことがありました。

ところが、最近になって仕事上の変化もあって「自分が何をどこまでやるか」を自分で決める事が多くなり、そうすると「自分は何をしたいのか」「自分は何が得意なのか」を深く考える必要に迫られるようになりました。

また、子供達も成長するに従って、単純に「親(私は父親)と子」という縦の関係ではなく、より一人の人間として接することが重要だと感じる瞬間が増えてきました。

加えて、家族の時間を重要視すると、今度は「お金」 についてどういったスタンスを取るかも避けては通れない課題です。

私のスタンスは、タイトルにもあるように「ほどよい幸せ」を味わうことですが、そのためにも上記にあげたことのバランス、という、それぞれの要素に対するスタンスはとても大切だと感じています。

また、正解は一つではないので、試行錯誤しながらの過程を残しておくことは自分にとっても、このブログを読む人にとっても役に立つのではないかと考えています。

いつまで続くかはわかりませんが、以前は「仕事」にとってメリットがあるか、ないか、という視点でブログを見ていましたが、今回は「自分の人生の質を高める」という視点なので、少し期待しています。