人生を味わうブログ〜仕事と家族とお金から自分の人生を考える〜

誰もが「自分の人生を生きたい」と思っているにも関わらず、「自分の人生を生きている」と実感できる人はそれほど多くないのではないでしょうか。「自分の事は自分ではよくわからない」とは言いますが、日々の生活の中で向き合っている仕事、家庭、お金などの現実から、「自分はどういう人生を生きたいのか」を考えていきます。

自分を偽らない

私は専門職として働いているので、意見を求められることが多いのですが、当然ながらわからないこともあります。

その時にどう振る舞うかが、相手との信頼関係の構築や自身の成長と関係しているのではないでしょうか。

例えば、何か意見を求められた際に、専門職として「わからない」とは言いづらいので、話をすり替えたり、確信がないのに断言してしまったり、なんとかその場を取り繕ってしまうことがあります。

たいていの場合、それでなんとかなっているのですが、心の中では「ちゃんと応えられなかった」と悔いが残るんですよね。

なので、私はわからないことがあった際や答えに迷う際には、ごまかさずに、これまでの経験や、そこからどう考えるのかを自分自身に聞いてみます。
私は、自分が経験したことは信じていますし、そこからわき出てくるものに任せるしかない、ということかもしれません。

また、これまで人並みには経験を積んできたと考えているので、それでもわからないことはとてもレベルが高い内容なのでしょうし、いま向かい合っていることに、これまでの経験や知識が当てはまらないことも多々あるわけです。

なので「自分が間違っているかもしれない」と思っておくことは、大切ですよね。

これは決して「自信がない」といったスタンスではなく、自分を修正する余地を残したり、相手にも話してもらうチャンスを与えたり、といった意味合いもあります。

この自分自身に聞いてみる、というのは「リフレクション」と言われていますが、必要なときにリフレクションができる、というのも難しいんですよね。

株式からの配当金

不労所得に対する感覚は人それぞれですが、不労所得があるに越したことはないでしょう。

不労所得の代表的な者として株式からの配当金があります。

株式を保有している企業からの株主総会の資料や、証券会社のウェブサイトを見ると、例えば取締役がどれくらい自社の株を持っているかがわかりますが、そこから配当金を計算すると「仕事する必要あるのかな」と思ってしまうくらい、配当収入(しかも税率は20%)があったりします。

私自身も現時点で年間の配当収入が100万程度ありますが、基本的には再投資に回しているため、配当収入があって助かるな、といった実感はありません。

これがどれくらになったら、加速的に資産が増えていくのかはわかりませんが、株式投資を始めて10年程度でこのレベルですから、60歳を迎える頃になっても、劇的に増えることはなさそうです。

それでも、連続増配株や生活必需品ETFなどを中心に投資をしているため、おそらく配当収入が大きく減ることもないと考えています。

仕事はそれなりに続けたいな、とは考えていますので、配当収入だけで生活することはなさそうではありますが、目安としては年間300万円(税引き後240万円、米国株式だと、米国での源泉徴収もあるのでもう少し目減りしますが、月20万程度)くらいあると、気分よく暮らせるかな、と漠然と考えています。

 

子供達の日常からの気づき

親として子供と関わっているつもりでも、実際に目にしている側面はごく一部かもしれませんよね。

私も親として子供と関わる時間をなるべく持とうとしているのですが、やはり全ての面は見れません。

また、子供の全ての面を見ることが、必ずしも「いいこと」だとは考えていないですし、子供と自分は別人格なので、全てを見ていたとしても、全てを知ることはできません。

ただ、自分が知らない子供の一面を見ることで、ハッとさせられることもあります。

例えば、日中、自宅にいると、子供が学校から帰ってきたときの姿を見られることがありますが、「ただいまー!」元気よく帰ってきた際の、とてもすっきりした純朴な表情を見ると、こちらも心が洗われるようですし、ちょっと浮かない表情をしているのを見ると、親の知らない世界で苦悩しているんだな、とちょっと胸が苦しくなったりします。

こういった機会だけではないと思うのですが、普段、見ている子供達の側面が全てではないんだ、という当たり前のことに気づくことは、日常の他の場面でもとても役に立つのではないでしょうか。

パートナーに対してもそうですし、仕事で関わっている上司、部下に対してもそうかもしれません。

先入観で「いつもこうだよね!」とイライラしてしまうことで、自分の態度も頑なになってしまいがちですが、「本当は違うのかも」と思えるだけで、自分の態度も柔らかくなりますし、感じるストレスが軽減されたりしないでしょうか。

何事に対しても、「全てを知ることは難しく、色々な側面がある」と考えておくことが重要です。

朝の習慣

皆さんは朝の習慣はお持ちでしょうか。

私はここ数年、起床時間は5時と決まっていて、目覚ましをかけなくても、前の晩に夜更かししても、5時にセットした目覚ましが鳴る直前に自然と起きることが多いです。
(それはそれで、睡眠の質はどうなんだ、といった気もするのですが)

その後、歯磨きをして、お湯を沸かしてコーヒーを入れて、10分程度の筋トレをして、瞑想をして、朝食を作って家族が起きてくるのを待ちます。

この間、大体1時間くらいなのですが、静かな時間に、自分の中で優先順位が高いことに取り組んでいること自体にとてもいい気分になれます。

時には、パソコンや携帯を触ってしまって、「それ、今じゃなくてもできるよね」といったようなことに時間を費やしてしまうこともありますが、そういった時は、ちょっとがっかりな朝になってしまいます。

その後は、家族が起きてきたら「おはよう!」の挨拶をして、それぞれの着替えを手伝ったり、今日の予定について話したり、みんなで朝食を食べたり、家を出るときにお互いに笑顔で元気に「いってきます!」「いってらっしゃい!」となると、とても充実感がありますね。

いつもいつもそうはいかないのですが、決まったらルーティンを持った朝の時間の過ごし方、とても気に入っています。

私の投資スタイル

お金の話もしておきます。

「お金の話」といっても色々な切り口がありますが、投資についてです。

私はお金は多い方が選択肢がたくさんある、と考えているので、お金については敏感、というか色々と考えてしまう方です。

また、資産形成についてはしっかり考えておくことで、自分がどれくらい働けばいいのか、つまり、人生において何にどれくらい時間を費やすことができるか、という正解のない問いにも、取り得る選択肢が増えます。

資産形成にもたくさんの方法がありますが、現在、主たる方法として採用しているのは米国株投資です。

ここに至るまでには、日本株、FXなどで失敗し、退屈なインデックス投資(現在も継続中)を経て、米国株の個別投資に、といった感じです。

米国個別株投資、というとリスクが高そうですが、私が投資しているのは一般に大型、ディフェンシブ、連続増配がキーワードで、現時点では配当再投資による資産形成を、これから10〜20年後には配当を生活費に、といったことを考えての選択肢です。

自分の心の声に耳を傾けると、米国株へのインデックス投資が手間もかからず、リターンもしっかり得られる投資なのですが、「面白さ」も踏まえてここ数年はこのスタイルに落ち着きました。

が、そのうち変わるかもしれませんね。

このブログでも、何らかの形で米国株投資については触れていこうと考えています。

主たる勤務先がないことでの焦り

タイトルを見ると、主たる勤務先がないことに焦っているような印象を受けますが、実際には焦りは感じていません。

焦りがあるとすると、仕事の感覚が鈍ること、お金のこと、世間体などがあったりしますが、今のところどれも自分の心の中にはありません。

仕事の感覚が鈍る、ということについては、いくつか非常勤先があり、幸いにも充実した時間が過ごせているため、今できることができなくなってしまう、という心配はありません。

今は生活のペースができていないので充分な時間がとれていないのですが、これまでそのままにしておいた「これってどうなんだろう」という知的好奇心も、少しずつ掘り下げていきたいですし、これまでは何となくやっていたことも、今一度、「どうして」という理由について振り返る時間を確保していけるといいのかな、と漠然と考えています。

また、これまで仕事に振り分けていた時間を家族のために使っていることで、親としての成長が人間としての成長に繋がることも実感しています。

例えば、以前は時間的にも心にも余裕がなかったので、子供に対して先回りして上手くいくように行動してしまうことが多かったのですが、最低限の安全には気をつけながら「○○すると、○○とか、○○とか、大丈夫かな」と、可能性を伝えて見守ることを心がけています。

また、失敗したとしても、叱りつけたり、「ほら!言ったでしょ!」と感情的にならずに、「大丈夫?」と声をかけながら、笑い飛ばしていると、子供も自分の事として考えるようで、「○○すればよかったかな」とか笑いながら話してくれます。

単純に親から子への「押しつけ」で教えるのではなく、子供を一人の人間として接することで、友人との付き合いや、仕事においても人との関わりについて学べているのではないでしょうか。

今の時間の使い方をどう捉えるかで、仕事がないことに対して焦るのではなく、今の時間を最大限、人間としての成長につなげていければと思うこの頃です。

他人ではなく自分の期待に応えているかどうか

幸いなことに、仕事について色々と声をかけて頂くことがあります。

私の専門領域について理解した上で「私に力を貸して欲しい」とか「ぜひ関わって欲しい」という声かけもあるのですが「自分のいいように使いたい」とか「私のために関わって欲しい」という利己の部分が見えてしまうこともあります。

その「利己」を否定するわけではありませんが、引き受けるか考えるときに、その人との普段の関係性に影響を受ける、もしくは、引き受けるかどうかがその人との関係性に影響する、ということが判断を迷わせますよね。

また、あまり気が進まない仕事であっても「人が自分に期待していること」に応えてあげたい、とか、応えなくてはいけない、といった意識があるかもしれません。

そういうときには、自身の判断が「自分の期待に応えたものか」ということを意識するようにしています。

もちろん、自分に対する期待の中に「誰かの期待に応えている自分」という自己像があるかもしれませんし、人の期待に応えることで信頼関係が構築できますので、人の期待は無視しろ、ということではありません。

ただ「自分は自分の期待に応えるために生きている」を意識すると、判断を誰かの期待に委ねない、つまり「自分がどうするかは自分で決める」ことができますし、「期待に応えたのに裏切られた」という状況になっても、「せっかく期待に応えてあげたのに」という後ろ向きな気持ちなることなく、「自分で決めたことだから」と捉えることができれば、精神的なダメージも軽減されますし、次はどうするかという建設的な思考ができます。

仕事に対して完全に目的、意識が一致することはありませんが、いかにして自分を守っていくか、ということは、一つの重要な要素ですよね。